2018.04.11

オニレコ! – ピザと日本と私の物語 –

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オニレコ! – ピザと日本と私の物語 –

ピザ、お好きですか?
私は大好きです。たまに富澤商店で買った小麦粉をこねこねして350度石窯ドームオーブンに放り込みパンのようなピザを作ったりします。本当は本当の石窯が欲しいのですが。かつてはマッシモのようなピザ職人になりたいと夢見た時期もありましたが。

マッシモというのは永福町のピッツェリア、マッシモッタヴィオのオーナーであり、ピッツァイオーロ(ピザ職人)でもあるマッシモッタヴィオ・ミニクッチ氏のことです。マッシモのピザはとにかく絶品で、私が外食でいちばん好きな料理はマッシモの焼くクワトロフォルマッジなのです。

思えばピザと私の最初の出会いは昭和40年代、池袋の東武デパートで食べたカリカリの薄焼きピザでした。母親と姉が買い物をしている間、父親はよく私を連れてデパート内の喫茶室に入りピザを注文しました。頑固で無骨な父でしたがピザは好きだったようです。いつもしかつめらしい父もこの時ばかりは相好を崩し、満たされた顔でカリカリピザを頬張っていました。そんな父を見て私も嬉しくなりお腹も心も満たされる、と、これが私のピザ原体験です。

昭和60年代になるとアメリカから「宅配ピザ」という人間をダメにするシステムがやって来ます。ドミノピザが日本で営業を始めて間もない頃、私はピザを腹いっぱい食べたいばかりにアルバイトの面接に行き、腹の底から湧き出るピザへの愛を熱く語りました。アメリカ最高、ピザ万歳(←誤解)。まあ、同時に宅配弁当屋の面接にも行ってコロッケへの愛も語っていたんですけどね。結局私は配達用の黒いジャイロXに惹かれて弁当屋で働いたのですが、もしもあの時ドミノピザを選んでいたら、と思うと今でもちょっぴり腹が減ります。

宅配ピザには宅配ピザなりの味があります。それはそれで私は好きなのですが、バブル期にイタメシブームが起きると、私も「宅配ピザなんて偽物はやめて本物のピザを食べに行こうぜ」などとうそぶき、ピザのおいしいレストランを探すようになりました。繰り返しますが、ビールで流し込む宅配ピザにもそれなりに活躍する場があるものです。なのにまだ若かった私はいらぬ在野精神を発揮して「打倒宅配!ピザ解放!」を声高に叫んだものです。ピザはアメリカ文化、という勘違いをなかったものにするためだったとも言えます。そうして行き着いた先が牛込神楽坂のカルミネでした。

「東京いい店やれる店」という身も蓋もないタイトルの本を繰っていた私が女を食うことも忘れてピザを食った店、それがカルミネです。(バブル期の話なので一部盛りました)「ほんと、カルミネのピザはおいしかったね」といえば話はそれまでなのですが、ここで私が体感したのは初めて食べるナポリピッツァのおいしさと、店内のほどよくカジュアルな雰囲気、加えて両隣りで食事を楽しむイタリア人たちの陽気なおしゃべりです。イタリアには行ったことがないけど、あぁ、この満たされた時間こそがきっとピザの神髄。

ここまでの道のりがあったからこそ、私はマッシモのピザに辿り着いたのでしょう。バブルが弾けて先行き不安な時代に妻と知り合い、私たちは二人で暮らす初めての部屋を永福町に借りました。マッシモは当時、永福町のラ・ピッコラ・ターヴォラという店でピザを焼いていて、妻の勤め先も近所にあったことから、妻は私と出会う前からすでにマッシモとマッシモの焼くピザに慣れ親しんでいました。妻に連れられて初めてラ・ピッコラ・ターヴォラを訪れた時の楽しい時間、初めて食べたクワトロフォルマッジの味、それらはもう感動的で、以来、特別な日はラ・ピッコラ・ターヴォラに予約を入れるか、クワトロフォルマッジだけ持ち帰って家で食べるということが長く続きました。焼きたてのクワトロフォルマッジを手渡し「チャオ」と笑うマッシモの気さくな表情も、私にとっては大切な隠し味でした。

やがて妻と私は転居しますが、マッシモのほうはラ・ピッコラ・ターヴォラから独立し、古巣から徒歩1分もかからない場所に自分の店を開きます。今やどちらもピザの名店として名を馳せていますが、この状況はもう永福町を日本におけるピザの聖地と呼んで差し支えないほどの局地的なピザの楽園、paradiso della pizzaなのです。

さて、ここで一つの疑問が湧いてきます。ラ・ピッコラ・ターヴォラもマッシモッタヴィオも、どちらも極めておいしいナポリピッツァを提供する店ですが、大きな違いが一つあります。それは、前者が真のナポリピッツァ協会の加盟店であるのに対して後者は加盟していないという点です。なぜマッシモッタヴィオは古巣のように真のナポリピッツァ協会加盟店にならないのか。

真のナポリピッツァ協会というのはナポリで1984年に創立された非営利団体で、その目的は「ナポリに古くから伝わる職人の伝統技術を再評価し、ナポリピッツァの伝統が世代交代の中で変わっていくことを少しでも防ぐこと」であり、また「その記憶が失われないように緻密な基準づくりをし、伝統技術を後世に伝えること」です。加盟店は、食材から調理法に至るまでの厳格な基準と審査をクリアして初めて公認のロゴマークを掲げることができるのです。ちなみにラ・ピッコラ・ターヴォラは日本で2番目に協会加盟店となっています。

近年は「ナポリの伝統的な道化師プルチネッラがピッツァを焼いているロゴマーク」が日本でも認知され、おいしいピザ屋の目印のようになっている感があります。私も「加盟店食べ歩き全国コンプリート」を考えたりしましたが、加盟店がじゃんじゃん増え続けているので諦めました。グッドデザイン賞やモンドセレクションのようになんとなく有難みがなくなっていくのではないかという懸念もあります。首都圏で幾つかの加盟店を訪れてますが「うん、やっぱりおいしい!」という店もあれば「うーん、それほどでもないかな」という店もあります。一体この差はどこからくるのか。

伝統を守る、というのは保守的な考え方です。真のナポリピッツァ協会の加盟店は協会の認定する物産企業と連携し、基準を満たしたイタリア食材を使うことが推奨されます。これは消費者にとって安心できるシステムなのですが、お店側がそのシステムにばかり寄りかかっていたら「このチーズはイタリア産より地元のものを使ったほうが新鮮でおいしい」という大切な部分が抜け落ちることになります。イタリアといえばスローフード、食のグローバリゼーションから小さい生産者を守る運動の発祥地。真のナポリピッツァ協会だって「なにがなんでもイタリア食材を使え」と強要しているわけではなく、そこはいろいろ店ごとの事情があるのでしょう。Netflixで「アグリー・デリシャス」というドキュメンタリーがあるのですが、この番組内で真のナポリピッツァ協会は少々悪者として描かれています。協会は商業主義的で保守的に過ぎると。空輸されたイタリア食材より地元の新鮮なものを使うべきだと。伝統的な料理は現地で食べてこそであり、才能ある料理人は自由な発想でその先を追い求めるものだと。エトセトラ、エトセトラ。

確かに一理あります。アメリカにはアメリカの風土や文化に合ったおいしいピザがあり、日本にも寿司ネタのような食材を使ったおいしいピザがあります。ラ・ピッコラ・ターヴォラを独立したマッシモのピザは個性が皿からはみ出していて、最初に見た瞬間私はわくわくして笑ってしまいました。わあ、すごい、これどんな味なんだろう!

マッシモの素晴らしいところは、故郷の団体が定める厳格な基準に沿ったピザも、そこからはみ出した自分らしいピザも、どちらも極めようとしているのが伝わってくるところです。ピザへの揺るぎない愛を感じるのです。結局のところ、真のナポリピッツァ協会の加盟店であろうとなかろうと、ピザのおいしさは作る人の哲学や熱意にかかってるということでしょうか。ピザに限った話ではありませんが。そして、移ろいゆく時の中で伝統の味を守ろうとする真のナポリピッツァ協会の存在意義もまた大きく感じるところです。マッシモが独立してからもなおラ・ピッコラ・ターヴォラのピザがおいしくあり続ける理由は、きっと受け継がれた技とレシピがあってこそ、そして協会加盟店としての誇りや、適当なピッツァイオーロは雇わないという店の矜持もあるのではないでしょうか。

さぁ、みなさんもお腹が空いてきたことでしょう。おいしいピザを食べに街へ繰り出しましょう!

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